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「そのうらみはらさでおくべきか」で凍った少年、スカッとした少年

新しい家族は、あばしり一家藤子不二雄は、藤本、我孫子の二人の共同ペンネーム。当初は二人で共作していたものの、次第に画風か変わったために、それぞれが単独で描くようになります。共作の最後は「オバケのQ太郎」。一話ずつ交代で書いていたようです。

ふたりは小学校からの同級生で、友達になったきっかけはマンガでした。中学高校時代に共作での雑誌の投稿を始め、原稿料をもらっては共同名義の口座に貯金。二人の作品の原稿料を二分割して受け取る仕組みをスタートします。高3のときに「天使の玉ちゃん」でデビュー、その後、手塚治虫の自宅を訪れ自分達の漫画を見せます。手塚は「上手だね」と軽く答えたものの、内心では「とんでもない子が現れた」と驚愕し、そのときの作品を生涯大切に保管していました。

当初はシリアスなマンガが多かった二人ですが、「オバケのQ太郎」でギャグ系に転向、大ヒットとなります。この後は、それぞれの単独作品となり、藤本は「パーマン」「21エモン」「ドラえもん」など夢のある作品を次々と作りました。

一方の藤子不二雄A(我孫子素雄)は、「忍者ハットリくん」「怪物くん」とユニークな作品を作ります。コメディではあるものの、どこか奇妙、不気味な面も併せ持つ作品です。元々ブラックな作品を描いてきた我孫子は、1972年に奇怪な作品を世に送ります。「魔太郎がくる」です。

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本当に怖いマンガが何故かはやった

いじめられっ子の主人公「浦見魔太郎」。学校に行けば毎日のようにいじめられます。我慢はしますが、限度を超えたイジメに対しては仕返しをします。彼は「うらみ念法」などの超能力をもっていました。仕返しをする際につぶやく決めセリフ「う・ら・み・は・ら・さ・で・お・く・べ・き・か」は、心も凍るほどの衝撃でした。

当初の恨みの晴らし方は超過劇で、今ではとても直視できるようなものではありませんでしたが、当時は何故か許容されていました。おそらく、我孫子が描いた復讐は「空想の世界」のものだったからでしょう。今ではあまりにもリアリティがありすぎます。平和な時代だけに許された描写だと言えるのではないでしょうか。

イジメっ子をパワーショベルで引き裂きコンクリート詰めにしたり、恐喝してきたヤクザを袋詰めにしてバット殴って殺したりと、仕返しは凄惨です。

現在売られている単行本は、過激すぎる箇所が描き換えられています。読み手の心が凍るほどの作品ですが、名作です。